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【アラベスク】  第12章 マジカル王子様



第2節 権力の天秤 [17]




 驚きに声も出ないツバサへ向かって、聡は無情に畳み掛ける。
「知ってるぜ。お前がコイツと蔦との関係をあれこれイジイジ気にしてるってさ」
「――――っ!」
 胸に湧くのは、怒りか。羞恥か。憤りか。
 あまりにいろいろな感情が一気に膨れ上がり、(せめ)ぎあい、ツバサは口を半開きにしたまま言葉を失う。
 そんな相手に聡は卑猥に瞳を細める。
「お前だって、本当はこんなヤツの事、世話なんてしたくないって思ってるんだろう? 今でもコイツと蔦との間に何かしら関係があるんじゃないかって、疑ってんだろ?」
「え? 何それ? ツバサ、どういう事?」
「おめぇは黙ってろ。どうせ自分の事以外、なんにも考えてねぇんだからよ」
「そ、そんな言い方」
「そうやって人の陰に隠れてるのが、おめぇにはお似合いなんだよ。もっとも、涼木にしてみれば迷惑極まりないんだろうけど――」
「アンタには関係ないでしょうっ」
 ツバサは、抑える事ができなかった。
 振りかぶった右手は止める間もなく聡の左頬へぶつけられ、そのまま振り落とされる。大した力ではなかった。叩かれて少しヨロけはしたものの、首だってほどんどまわってはいない。
 怒りなんて沸かない。ただ、驚きはした。聡は正直、涼木がここまで怒るとは思っていなかった。
 彼にとっては、根拠もない勢い任せの八つ当たりのようなものだった。そもそも蔦康煕から喧嘩の話を聞かされた時も、彼女がそれほど深く悩んでいるとは思っていなかった。涼木という少女が何かに思い悩むなど、聡には到底考えられなかった。
 涼木聖翼人という少女は、明朗快活で、何事にも前向きであれこれイジイジと悩んだりしない。多少キツい言葉を掛けられたって、笑ってあっさりと交わしてしまう。そういう人間だと思っている。だから聡にしてみれば、目に見えて動揺するツバサの行動はむしろ意外だった。バッカじゃない、などという一言で片付けられてしまうと思っていた。
 意外ではあったが、叩かれたのは事実。
 コイツ、俺を叩きやがった。
 頬を摩るでもなくジロリと睨みおろす先で、ツバサはギリギリと歯を噛み締めている。
「アンタには、関係ないでしょう」
 心なしか、瞳が赤い。
 激しく湧き上がる怒りを必死に抑えるように、ツバサは震える声で繰り返す。
「アンタには関係ないでしょう」
 そうだ、この男には関係ない。自分が必死に悩み、乗り越えようとしている悩みなど、この男には関係ない。関係もない、苦しみなどわかるはずもない人間にこの胸の痛みと葛藤を無碍(むげ)に口に出されて扱われるのが、ツバサには我慢できなかった。
 コウとシロちゃんとの関係で自分がどれほど苦しい思いをしているのかまったくわかってもいないクセに、どうして自分はそんな人間に責められなければならないのか。
「今ここで、私の事なんて関係ないでしょう?」
「関係ない? へ、エラそうな事言うぜ。そうやって善良ぶってコイツの世話してれば蔦に想ってもらえるとでも思ってるのかよ」
「うるさいっ!」
 そんなつもりでシロちゃんと美鶴を会わせようとしているワケじゃないのにっ!
「自分だって同じじゃないっ!」
 許せない。何も知らない人間に、自分の心内を無碍に扱われるのは、絶対に許せない。
「自分だって、シロちゃんを引き離せば美鶴から感謝されるとでも思ってるワケ?」
「っんだよそれっ」
「そうじゃない。まるで自分は美鶴の為を思って行動してるみたいな言い方して。本当は美鶴とシロちゃんが一緒に居るところを自分が見たくないだけなんじゃないのっ」
「なっ」
 まるで心の内を見透かされたかのような羞恥。
 今度はツバサが畳み掛ける。
「だいたい金本くん、美鶴の為だなんて言って、いったいどれだけ美鶴の為になってるのよっ!」
 言い返せない。今まで一度だって美鶴の危機を一人で救ってやった事はなかった。そんな自分は、果たして美鶴のどれだけ役に立っていると言うのか。
「美鶴の自宅謹慎だって、結局は山脇くんのお陰じゃない。金本くんが何したって言うのっ」
「くっ!」
 一番痛いところを責められ、怒りに胸の内を占領されても言い返す事ができない。
「どうせ美鶴に対してだって、こうやって喚き散らしてばっかりいるんでしょっ!」
「知ったような事言うなっ!」
「じゃあ、金本くんだって、知ったような事言わないでよっ!」
 両手を握り締め、ありったけの声をあげる。
「そうやっていつでも自分が正しいみたいな言い方で怒鳴り散らしてばっかりいるから、だから美鶴に振り向いてもらえないのよっ!」
「お前には関係ないだろっ!」
「自分だって関係ない事に首突っ込んでるクセに」
 ツバサは、二人の迫力にただオロオロとしている里奈を抱きしめるように両手で庇いながら身を捩った。
「金本くん、自分の言った事とかやってる事でどれだけの人を傷つけてるか、わかってるの?」
「俺が誰を傷つけたって言うんだよっ」
「いっぱいだよ。わからないなんてサイテーだよっ」
「なんだよそれっ!」
「金本くんは優しさが足りないんだよっ」
 里奈を庇ったまま聡から数歩離れ、振り返りながら相手を睨みあげる。
「自分の正しいと思った事がすべて正しいと思ったら大間違いなんだからね。物事には言って良いことと悪い事があるんだよ。自分が正しいと思っても、相手にはすごくひどい事に聞こえる場合だってあるんだ。それがわからないようじゃあ、美鶴にだって嫌われるよっ!」
「なっ」
 自分が美鶴に嫌われると断言されては、聡としては黙ってはいられない。撤回しろとばかりにツバサに近づこうとするが、ツバサの視線がそれを拒絶する。そうして、腹の底から怒鳴ってみせた。
「美鶴の気持ちだって、金本くんはきっと全然理解してないんだよっ!」
 美鶴の気持ち。
 その言葉に聡の全身が愕然と硬直する。
 美鶴の気持ち?
 まるで、聞いたこともない外国語を聞かされたかのよう。絶句したまま口を半開きにする聡。そんな相手をキッと睨みつけ、もう少し他人に優しくする事も考えるべきだと大声をあげて、ツバサは里奈を連れて半分走るようにその場を去っていった。
 美鶴の気持ち。
 聡は胸の内で反芻する。
 美鶴の気持ち、って、何だ?







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